人類がゲームに関心を示し始めたのはいつ?ー引き継がれるゲームの記録ー

今回の記事ではボードゲームの情報が纏められて研究対象として認知されるまでのおおまかな流れをご紹介します。

前回の記事を読まれていない方は先にそちらからどうぞ。

ボードゲームも研究対象らしいです

西暦前世紀のはじめになってから学者がゲームの性質に大きな関心を示し始めたそうです。

ビザンチン(東ローマ帝国)の考古学者は古いギリシャ文字におけるゲームへの言及を解明しようと試みました。

しかし、残念なことに彼らはこれらのゲームが全て消失していると思い込み、他の地域や国のゲームについて何も知りませんでした。

その結果、彼らは現代の学者よりも曖昧な部分を説明できず、曖昧な部分をさらに増やす結果となりました。

当時のヨーロッパ各国の動きは?

ヨーロッパの学者がそれぞれの国でゲームについて説明し始めたのは13世紀になってからでした。

これらの資料で最初で最も重要なものは、1283年にアルフォンソ10世(カスティーリャ王)によって編集されました。

それはスペインで行われたゲームを詳細に記した「Libro de los Juegos」です。

アルフォンソ10世
Libro de los Juegos

イギリスの場合、Wace著「Roman de rou」という本の中にテーブルゲームに関する短い論文があります。

※原文は違いますが、恐らく下記に示している資料だと思います。

色々調べてこの答えに行き着きました。

”For England, we have a short treatise on tables(‘K.’) is MS. Brit. Mus. Kings 13 A. xviii.”

イタリアとフランスでは、チェス、バックギャモン、ナインメンズモリスの素晴らしい解説書があります。

I codici scacchistici del Bonus Socius e del Civis Bononiae
i-codici-scacchistici-del-bonus-socius-e-del-civis-bononiae

チェスの解説書を販売しているサイトのURLです。

バックギャモンとナインメンズモリスの解説書が現存しているかはわかりませんでした。

中世ではたくさんの参考になる文献があります。

その中でも有名なものがアミアンの首相だったリチャード・デ・フルニバが編集した「De vetula」です。

De vetulaのー節

Sunt alii ludi parvi quos scire puelles
Esse decens dixi:sed parva movere pudebat
Nuncque magis, quam tunc, pudet illa minora referre

De vetula

訳がおかしい気がしますがそのまま訳しています。

私が、女の子にまともであることを知っていると言った他の小さなゲームがあります。

しかし、私は小さなものを動かすことを恥じていました。

16世紀になるとジローラモ・カルダンは現在失われている著書「De ludis latrunculorum」を書きました。

こちらの著書は現在消失しているそうです。

その文献から、ハイデはイタリアのテーブルゲームを扱ったいつくかの節に引用しました。

Jérôme Cardan — Wikipédia

Ludis latrunculorumについての紹介

こちらのゲームはルールについての情報が消失しています。

これまで何度かルールの再現が行われたみたいです。

そのため、何パターンかのルールが存在しているようです。

Ludus latrunculorum - Wikipedia

ラブレーはガルガンチュア物語に登場する巨人によってプレイされる、ゲームの長いリストにボードゲームを加えています。

ガルガンチュア物語について

ガルガンチュワとパンタグリュエル - Wikipedia

しかし、現在のヨーロッパのボードゲームのマニュアルが登場し始めたのは17世紀半ばになってからでした。

中でも「The maison des Jeux académiques」と「The Compleat Gamester」はヨーロッパの様々な国の多くの作品の先駆者でした。

これらは百科事典としての傾向があるため、参考にする際は注意が必要です。

一般的にフランスのマニュアルに基づいており、アイスランドのチェス以外のゲームが含まれていることが多いようです。

ヨーロッパ以外のゲームを扱った最初の書籍は、オックスフォードのアラビア語学と、ボドリアン図書館の司書も兼任していたトーマス・ハイドの「De Ludis Orientalibus」でこの資料は今でも最も重要な資料の1つです。

さて、これまでは過去から残されてきた情報を集めたわけですが

他の情報の集め方がありました。

それは、旅の初期記録でのゲームへのざっくりとした言及です。

しかし、これらは初期の旅行者がゲームに関心を持つことは滅多になく、偶然的に言及されたものがいくつかあるだけです。

時々彼らは、ゲームへネイティブな名前をつけることがありますが、理解しにくいとそれを却下し複雑に見える場合はチェス、単純に見える場合はドラフトと名前を変えてしまうことがあったそうです。

ボードゲームが先住民族の生活や文化様式を説明する資料と認識され、文化現象として、ボードゲームの重要性が認知されてそれらの有能な説明が始まったのは、過去60年間だけであり主に米国のSir E.B.TylorとDr.A.C.Haddonと米国のStewart Culinの活動によって説明されました。

これらの情報源は、ボードゲーム非常に広い地域で活用されており、文明化された人々に限定されたアイテムではないことを示しています。

ゲームの難しさは、それをプレイする民族の発展の基準ではありません。

いくつかのとても複雑なゲームは、文明が発展していない少数民族によってプレイされています。

ボードゲームを持たない民族はエスキモーと、オーストリアの先住民族だけの可能性があります。

ここで観察されたのは、あやとりだけでした。

感想

こちらの参考文献は70年前のものになるのでそれから60年前ということは、130年前からボードゲームについて研究されていたということになりますね。

ボードゲームが、民族の文化や風習と密接に関わっているということに気がついた先駆者たちは本当にすごい人達だと思います。

内容を読んでいて、ネイティブの名前をほっぽってテキトーに名前をつけるあたり、適当すぎんだろと思いながら訳をしていました。

昔の人たちは結構ワイルドですね笑

今回の内容を落とし込むにあたり、ウィキペディアなどを使用しています。本気で参考にせずにふーんこんな人がいるんだなー程度に見てくれたらと思います。

また、いくつかの文献は普通に調べても出てこず共通点や、検索ワードを多少変更するなどして探しています。

こちらについても参考程度に見て頂けたらと思います。

この記事が皆様の更なるアイデア発見や知識の向上に活用していただけたると嬉しいです。

それではまた次回お会いしましょう。

参考文献

  • A History of Board Games other than Chess (1952) 
  • 書籍情報源 - Wikipedia

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